みほつーについての10のコト
こんにちは!
訪問してくださった方、ありがとうございます!
初めまして、みほつーと申します。
準備が整ったら・・・とくすぶっていたはてなブログ。
一生始まらなそうだったので見切り発車しました!!
よーーっし!!! いってみよう!やってみよう!
みほつーってそもそも何者?
- 34歳女子
- 東京生まれで東京と埼玉のハーフ育ち
- 現在フランス在住
- 人生の半分くらいを飲食店で勤めてる
- 20代前半から一人旅にはまって、そこから凧の糸が切れたように放浪
- ワーホリでニュージーランドとオーストラリアを経験
- 前髪がいつも短い
- 湿気が嫌いでその時期は梅雨のない国へ行くのが好き
- 暇さえあれば飲んでいる(1人でもみんなとも)
- 英語とちょっと中国語を話す。フランス語は目下は勉強中
ざっとこんな感じ
やや雑すぎる感も否めないけどうっすら想像できてきません?
ブログを始めるキッカケ
最初に言っておくと私はすこぶる機械に弱く、アナログ人間。
でも紙ベースの日記は欠かさずつけてるんです、手帳にね。
なんと今年で17年目!!
日記って人に見せるものでないから文章力もなくハチャメチャだけど、今までの飲食経験とか、旅を通して見たこと、感じたこと、フランスでの生活等々。
そういうのをアウトプットしたら、もしかしたら誰かの役に立てるかも?と悶々としてた。
そして今年の春に結婚を機にフランスに当面住むことになって、いよいよ大好きな飲食業界も出来ないし、以前からやりたかったブログ始めよう!と。
そう、お尻に火がつかないと動かないのも私の性格。
大人しいけど頑固一徹、もやついてた子供時代
小学生くらいまでの私は自己主張もそんなに激しくなく、将来の夢、やりたいこともなく、目立つことが苦手で常に人の顔色を伺って行きているようなタイプ。
でもその反面、短気だったり頑固、一度怒りスイッチが入ると収まらない面も。
中学時代は、いわゆる中高一貫の学校に進学。女子校。
小さい頃に近所で男の子とばっかり遊んでいたし、リカちゃん人形とかおままごととかが嫌いなオンナノコだったので、違和感だらけ。
女の子らしい女の子が多かった反動なのかどんどんサバサバ、でも群れから抜けれないっていう変なジレンマがずーーっと続く。この時代に我慢を覚えた気がする。
そして就職というコトバを異様に嫌っていて、ハゲ散らかったおっさん達に面接の時に、御社の◯◯な所が〜とか、ネコ被りな自分が容易に想像できて。(当時の私の就職に対するイメージ)
絶対そういうのはしたくなかった。
その頃から、私の進むべき道はきっとそういうのではなく、何かもっと人と違う事。組織に属するんではなく自分で何かをやりたい!と漠然とした思いが芽生えた。
ネジが少し緩み始める
高校の時に毎日のように一緒にいた友達の影響でバイトを始めてみる。
埼玉に住んでいてバイトの選択肢があまりなくって適当に決めた居酒屋。でもここが私を構成する大部分になって。
初めてお金を頂いて働く。人との上下関係、距離の取り方、言葉遣いなどなど分からないことだらけ。でも先輩たちは優しく教えてくれて、同年代の子達は自分とは違ってキラキラして見えてすごく羨ましかった。
何が違うんだろうって日々観察をして、たくさん話して分かったこと。
みんな自分をしっかり持っていて嫌なものは嫌、好きなことは好きがはっきりしてて、それぞれのカラーがあった。俗にいう個性。
自分を変えてみたくて、オシャレや化粧を始めてみたり。部活も入らずにマックで暴飲暴食をしていた私はなかなかのぽっちゃりだったのでダイエットも。春休みを使って人とも会わず誘惑を断ち切った。結果1ヶ月で8キロ減。
休み明けでだいぶ様子が変わった私を見て、話したこともないような子からも話しかけられたりして、初めて自分が死ぬ気で努力をした結果をみんなが褒めてくれて嬉しいっていう小さな成功体験ができて、この辺りから自分に少しだけ自信を持つことが出来るようになった。
がむしゃらにバイト三昧な日々
大学に進学してからは、ひたすらバイトに明け暮れる日々で朝まで働いて、家で仮眠→授業なんてのもざらではなかった。
本業は学生し休むことはあまりなかったが、内容は身に入ってなかった。
アルバイトも2つ掛け持ちをして、自分でお金を稼ぐことの大変さ、年数を経て任されることも大きくなり責任を持って働くことも学んだ。
ただ当時の私は何のためにこんなにがむしゃらに働いているかの目標はなく、ひたすら目の前にあるタスクをこなしていただけかもしれない。
と同時に自分にとって居心地がいい場所だけど、これを一生続けるか?の問いや、大学進学までさせてくれた親のためにも1回は就職をしてみようか?と考え出すようになる。
そんな中、縁があって出会った人からうちの会社で働けば?とのお誘い。
就職活動なんかしたこともなかったし、大好きな場所からの脱却方法も知らない、どうせ働くなら大好きな飲食業界で働きたいと思っていた私にはこの上ない朗報だった。
飲食コンサルタントになる
初めてのいわゆる社会人経験で私は飲食コンサルタントになった。
と言っても中途入社であるし現場経験もないので最初は自社の飲食店舗での研修。今までの経験を生かせる!と意気込んでいた私は出鼻をボコボコに挫かれる。
何をやってもダメ出し、終いには何考えて生きてるんだ?と。
研修が終わり、会社からの要請で初の一人暮らし。が理想とは程遠い我が家。
配属先も決まって現場に入るも中々の問題現場で。(そういう店舗に行って改善、提案をするのが私たちの仕事だったけれど)
10ヶ月ほどいた。一緒に働いてくれたスタッフ、来てくださるお客様、本当に未だに感謝をしている。その反面で私はうつ病を発症する。
毎日点滴をしてから出社、週の半分はタクシーで帰宅、守りたいものがたくさんあるのに大きすぎる見えない闇に負けてしまった私は、また好きな場所を離れざるを得なくなった。
うつ病発症〜社会復帰するまで
結局1年弱の私の社会人生活。 何事もやってみないと済まない性格上挑戦できてすごーーくよかった!
もうあの頃には戻りたくないけれど、改めて今思い返すと貴重な経験だらけだった。
自宅療養をして人と会わない生活が続いたけれど、やはり私を元気にしてくれたのは紛れもなく人だった。
社会復帰一発目は販売の仕事。飲食業に懲りていたはずだけど、嫌いにはなりたくなかったので思考を変えて働いてみた。
と同時に暗黒の社会人生活の終盤に私は海外に対してとても興味を持つようになった。
働いていた現場で外国のお客さんが多かったのに全く英語ができないもどかしさが1番の理由だと思う。
色々調べて行くうちにワーキングホリデーの制度を知るようになる。
そこで飲食の仕事とは別に掛け持ちで仕事をして留学資金を貯めることに。
ワーホリで英語を身につけ海外を放浪
1年間のニュージーランドでのワーホリ。4ヶ月半語学学校に通いひたすら勉強。その結果ネイティブとまでは行かないが、 人と話すのにはさほど困らないレベルまで英語が上達し自分に少し自信が持てるようになった。
それからは梅雨の時期や行きたい時にせっせと海外に逃亡、帰国したらがっつり働くという生活スタイルを自分の中で確立した。
メリハリがあって日々が充実していた。
ラストチャンスと運命の出会い
数年が経ち30歳を過ぎた時点で、もう一回最後のチャンスとしてワーホリに行きたいと考えた 私は31歳になる直前でオーストラリア行きのビザを取得。
職場や家族からの反対によって時間がかかったけれど、自分の人生だし直感で行くべきだと思ったので行動に出た。
軍資金もさほどなかったのでお金が尽きたら帰ってこようと軽い気持ちで渡豪。
4ヶ月が過ぎたその年の年末に私は現在の夫であるフランス人の男性と出会う。
彼と出会ってからは一緒にご飯を作って食べたり、出かけたり、遊んだり、働いたりの日常がとてつもなく楽しかった。
ビザに期限はあるのは知っていたけどお互い先のことは考えず今を楽しく生きることをモットーにしていた。
日本での生活〜結婚〜渡仏の現在
オーストラリアでのビザが切れ、今度は彼がワーホリ制度を利用して日本にやってきて場所を変えて一緒に生活をするようになった。
私たちの共通言語は英語で彼はほとんど日本語を話さないので苦労が多かったりもしたけど、旅好きな私たちは生活をしながら旅も続けた。
彼が日本を体感して好きになってくれ、私も自分が知らない日本の良いところを知る良い機会でもあった。
そしてその年の終わりくらいに結婚することを決めた。
話し合いの末しばらくはフランスに拠点を置いて生活しようと。
現在はフランス北東部にあるアルザス地方の小さな街に住んでいます。
フリーランスとしてやって行く決意
数年前から旅先などでたまに出会うことがあったブロガーと呼ばれる人たち。
すごく楽しそう!やってみたい!だけど自分には無理だ〜と思っていたけど無理かどうかはやってみないと分からないし、むしろ誰もダメって言ってない。
可能性を潰していたのは紛れもなく自分だった。
何かを始めるのに遅すぎることはない。
強い思いを持ち続けながら、何かを始めるというアクションを起こすことの方がもっと大事だと思う。
だからまだまだブログを書くにはひよっこだけど人生は日々勉強。その方が楽し!
とても長文になってしまいましたが読んでくださった方
本当にありがとうございました。
未熟な今の私もこれから成長するための糧となる工程なのであえてこのままの状態で。
このページを読んでくれる人に有意義で楽しめる、自分自身もワクワクするようなコンテンツを作っていきます!
応援よろしくお願いします!